春日部の地名の由来は、いろいろな説がある上に、表記が時代によってまちまちなので、どれが正しいかははっきりしていません。

最初に春日部と表記されたのは、南北朝時代にあたる14世紀頃のことです。
新田義貞の家臣春日部氏が、この地を領地としたことから、「春日部」と名付けたとされています。
けれども、17世紀半ばである江戸時代の正保年間には、「糟壁」や「糟ヶ辺」という表記が使われていました。
さらに、18世紀から19世紀、つまり元禄年間から明治初期にかけては、「粕壁」や「糟壁」という字が使われています。
そして、伊能忠敬による日本地図にを見ると、粕壁と表記されています。
結局、江戸時代からあいまいなままだった「かすかべ」の表記は、明治時代の大区小区制の施行により、「粕壁」に統一されたようです。
そして、昭和19年、南埼玉郡粕壁町と同郡内牧村の合併の際に、ついに「春日部町」と表記されるようになったようです。

もう一つの由来として、春日山田皇女説がありました。
春日山田皇女は6世紀頃に実在していた安閑天皇の皇后とされています。
その、春日山田皇女の御名代部が、現在の春日部市周辺に居住していたという言い伝えを、市名の由来としたというものです。
けれども、春日山田皇女説が正しいと裏付ける文献は乏しく、春日部氏説の方が有力だとみられていて、近年は春日部氏説が市名の由来になっていると公式においても発信されるようになってきています。